あれから8年

 ちょうど8年前、1994年5月1日、アイルトン・セナの命日である。94年ということは僕は中学3年生。いつも通りF1の放送を見ようと兄と夜遅くテレビ放送を待っていた。テレビに映ったのはレースではなくて、涙で声が途切れ途切れになったアナウンサーと解説の今宮さんの姿だった。僕は驚きで声も出なかった。番組の後半で一応レースの放送もあったが、とてもレースをまともに観ていられる状態ではなかった。
 あの年、ウイリアムズに移籍したセナは、3戦目のサンマリノGPの時点でまだノーポイントと苦しんでいた。そしてセナのいなくなったシーズンを制したのはシューマッハ、その後は今でも彼の時代、チャンピオンになった年もそうでない年もシューマッハを中心にF1は動いてきた。シューマッハvsヒルシューマッハvsビルヌーブシューマッハvsハッキネン、そしてシューマッハvsモントーヤ…。歴史に「もし」はありえないが、もしセナとシューマッハが正面から戦うようなことになっていたなら……神はそれを見るのを拒んだのかもしれない。
 セナがもし生きていたら42歳、さすがにその歳で現役ではないだろう。シューマッハの走りに関して何を思うのだろうか。かつてのライバル・プロストはチームが破産の憂き目にあい、通算勝利数でもシューマッハが超えていった。そしてその勢いは未だとどまるところを見せない。同じ「もし」でも、もしシューマッハがいなかったならば…想像の全くつかない世界である。
 今でもF1を見ていると、セナを思い出すことがある。それは、クラッシュのときだ。車が宙を舞うような大クラッシュ。しかし平気な姿で出てくるドライバー。一見グチャグチャになったマシンも、モノコック部分だけはその形を変えず残っている。セナの死後、安全に関する規定が非常に厳しくなり、それによって多くの事故による負傷は防がれている。セナの影響残るその中で、真正面からセナを倒す機会を得られなかったシューマッハは、打ち負かす相手もいないままにどこまで行こうというのか。前人未到の地を一人走る。