仰木彬監督、死去

夜遅くまで仕事をして、休憩にYahooをのぞいたら驚きの記事が。今シーズンは終盤から目に見えて体調が悪そうだったので、退任が決まってゆっくりして欲しいと思っていた矢先の出来事でした。
途中休養してもおかしくない体調で監督を続けたのは、プレーオフがかかっていたからだけではなく、合併球団の初代監督としての責任感もあったのだと思います。二つの古巣球団の突然の合併・消滅の中で、崩壊寸前となったチームをまとめるために、一度は引退した身ながら監督に就任。おそらく仰木さん以外が監督になっていたら、残らなかったファンも多かったのではないでしょうか。少なくとも自分はそうです。
僕は監督時代しか知りませんが、現役時代からパリーグ一筋。コーチ・監督とずっと現場を続け、数々の名勝負と名選手と世に送り出しました。イチローをして「僕の唯一の師と呼べる人。監督なしでは今の僕はない(野球殿堂入りの際)」と言わしめる。今後もパリーグを盛り上げて欲しいと思っていましたが、今はお疲れ様と言いたいです。
ご冥福をお祈りします。心残りは仰木さんの意志を継ぐ監督を残せなかったことです。

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やはり2001年のラストゲームは何度思い出しても感慨深い。近鉄の選手に胴上げされる姿は、本当に感動した。今まで見た中で一番思い出に残っています。