新聞社―破綻したビジネスモデル (新潮新書)

新聞社―破綻したビジネスモデル (新潮新書)

「破綻する」ではなく「破綻した」。減少する読者と広告収入、新聞社が危機に瀕しているという。公称部数を大きく水増ししている「押し紙」等の問題は、販売コストを押し上げ、広告効果の低下を裏付けるどころか下手すると損害賠償に発展する可能性も高い。少なく見積もっても印刷部数の10%が配達されず、その量は37万トン、森林220万本にも相当するという。新聞の信用は日に日に失墜している。

新聞は普通の商品と違って再販制度という国の規制で守られているにもかかわらず、丁寧な説明を怠ってきました。曖昧さや胡散臭さがつきまとっていることに読者は気づき、懐疑心を抱き、新聞社への信頼を失っていった。それが「新聞離れ」の根底にあるのではないだろうか−−。私の仮説ですが、〇五年大会での稲垣嗣夫神戸新聞社長の発言がそれを裏付けています。
「編集で”真実の報道”を標榜しても、『その一方、販売でやっていることは何ですか』と問われた時に、二の句がつげない」

作者は元毎日新聞常務取締役。本書の中では危機を伝えるとともに、自分なりの改善策も提唱している。しかし逆に、変えるべきという考えを持った人間が経営にいたとしても変えられない新聞社というものは、もうダメなんじゃないかと思わせるに十分な内容であった。テレビ局絡みのくだりは読み飛ばしたが。
とりあえずのところ、今後新聞広告の売込を断るのには躊躇しなくなるかなあ。

とてつもない日本 (新潮新書)

とてつもない日本 (新潮新書)

新聞からもテレビからも人気の無い麻生総理(もっとも、ここのところの総理はみんなそうだけど)。外務大臣時代の著書だが、首相としての支持率ほど悪い本ではない。そもそもこの人が気に入らないという人には薦められないが、基本路線は「日本はマスコミが言うほどひどい国ではない、海外からの評価と期待は高い」という感じなので、読んで前向きになるところは多い。ニートにも高齢化にも比較的考え方は柔らかいし、意見が合わないと思うところは読み飛ばせばよいのだ。

新聞を開けば、やれ格差社会だ、少子化だ、教育崩壊だ……と大騒ぎ。テレビをつければ凄惨な殺人事件ばかりが報じられ、識者と称する人たちが「日本はなぜこんなにおかしくなったのか」などと語っている。新聞やテレビを見ていると、まるで明日にでも日本が滅びそうな気がしてくる。
でも、ちょっと待っていただきたい。日本は本当にそんなに「駄目な国」なのだろうか。そんなにお先真っ暗なのだろうか。
私は決してそうは思わない。むしろ、日本は諸外国と比べても経済的な水準は相当に高いし、国際的なプレゼンスも極めて大きい。日本人が考えている以上に、日本という国は諸外国から期待され評価されているし、実際に大きな底力を持っているのである。